迷走する戦後教育

            貴島武之

 平成十四年八月十七日、佐世保で全日本教職員連盟の九州ブロック会議があり、熊本県教職員連盟の代表として、北島照明委員長と顧問の私が出席した。

 今年四月から新学習指導要領が始まった。

 【ゆとり】の中で自ら学び、自ら考える、力などの【生きる力】の育成を基本として・・・

   総合的な学習時間を設ける

完全学校週五日制を導入

「特色ある教育」を展開する

 「小学校学習指導要領(総則編)」より抜粋すれば、右記の項目が改定の主項目である。

今回の改定は、戦後、昭和二十二年に修身、日本歴史及び地理が廃止され、新たに社会科が設けられて以来六回目の改定となる。

昭和三十三年に、地理、歴史教育の充実改善がなされ、道徳の時間の特設がなされたが、日教組は道徳教育反対の運動を展開し、以後文部省との対立が続くことになる。戦後の復興は目覚しく、国民生活の向上に伴い、昭和四十三年の改定で「国家及び社会について正しい理解と愛情を育てる」、昭和五十二年の改定で「国民として必要とされる基礎的、基本的な内容の充実」「道徳教育や体育を一層重視し」知徳体の調和がうたわれ、「国家」「国民」の言葉が見られ、「国際協調」と並んで、「我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成」が重視されたのである。平成元年の改定の特徴は、「豊かなこころ」「たくましく生きる」を主眼に「生涯学習の基盤を培う」、「国旗及び国歌」の指導で、「日本人としての自覚を高め国家社会への帰属意識を涵養する」ことが強調された。

このような経緯を経て、今回ががらりと変わって「ゆとり教育」となったのである。これには当然学力低下に拍車をかけるな早速危惧する声が出された。

集まった九州の教師の中には、昭和四、五十年代共に日教組と戦った同士がいて、今も後輩の指導やら二十一世紀長崎県民会議(仮称)の事務局長などで活躍しているのに感心した。

初の佐世保行きなのに、偶然か神しくみか、港に米国原子力航空母艦、エイブラハムリンカーン号が入港していて見ることができた。

佐世保港は明治以来旧海軍基地であったし、戦後も海上自衛隊の基地、それに戦前になかった米海軍の基地があった。

十七日付地元紙に「米空母寄港反対全国集会二千人」とあった。一方、「空母に佐世保市民二千人が二日にわたってご招待」とあった。空母乗組員六千人の特需という記事もあった。

ブッシュ大統領は着々と「悪の枢軸」イラクへの攻撃の準備を進めていた。小泉首相は同じ「悪の枢軸」とブッシュ大統領に名指しされた北朝鮮訪問を公表した。拉致解放のチャンスは今しかない。「拉致・誘拐は国家テロ」(作家関川夏央)という言動に動かされてか、拉致家族と面会し最善の努力を約束した小泉首相はそう判断したにちがいない。それは国民感情にプラスに反応し支持率が五十%台に回復した。

教育を論じるのに、何故米空母中東出陣や北朝鮮拉致事件なのか。教育論は国家観と切り離せないという認識を強調したいからである。

日本は明治維新で近代国家の建設に大成功した。そして、教育勅語は、国の教育指針として人づくり・国づくりに大いに貢献したが、そもそも明治維新の精神は江戸時代に培われたという。西郷隆盛(一八二七年)、大久保利通(一八三〇年)、吉田松陰(一八三〇年)、木戸孝允(一八三三年)、伊藤博文(一八四一年)、福沢諭吉(一八三五年)、新渡戸稲造(一八六二年)、内村鑑三(一八六一年)など明治元年が一八六八年だから、みんな江戸期の生まれである。

教育勅語が廃止されたのは敗戦のため、GHQに従わざるをえなかったからであるが、戦後の奇跡的復興を成し遂げ、物資的に豊かな国民生活を築いたのは戦前の教育勅語で学んだ人間である。クルマを我が家で持てるなど貧しい学生時代想像すらしなかった。

教育基本法は昭和二二年公布されたが、「人格の完成」「真理と正義を愛す」「個人の価値を尊ぶ」など教育の目的にある。世界のどこにでも通用するりっぱな真理が述べられていて、これを否定しようとは思わない。抽象的で日本らしさ(国柄)を欠いてはいないか。日本の歴史伝統を踏まえているとは思えない。文化の連続性が感じられない。

したがって、教師の倫理綱領(昭和二七年)「教師は労働者である」、「教師は親とともに社会の頽廃と戦い新しい文化をつくる」、「教師は団結する」と矛盾することなく、日教組は堂々と革命教育ができたのである。過去との断絶を目指す教育も可能なのである。

その点、忠孝の道を説く教育勅語とは、大いに矛盾するのである。教育勅語は官民ともに欧風に心酔した弊害をなくすために、我が国の国体を明らかにし、これまでの歴史を受け継いで、国民とともに、正しい道を歩こうという明治天皇のお言葉であり、具体的で分かりやすい。ただこのまま復活しようというのは無理がある。時代が変わった。「歴史は繰り返さない」(小林秀雄)からである。

占領と同時に始まった米ソ対立の冷戦の中で、ソ連側の社会主義国家を理想とした日教組は革命教育を果敢に行い、それを阻止する文部省が対立し、現場は混乱に混乱を極めた。

ソ連が崩壊し、日教組は闘争方針を変更し、臨教審以降、その対立に終止符が打たれたものの、その本質は少しも変わっていない事は、歴史教科書であきらかである。むしろ、事態は悪化している(後述)。

一方、敗戦で奪われたものの修復、見直しは先に教育課程の改訂の経緯で述べたように、次第に改められてきたものの、その元の部分の教育基本法はそのままで半世紀を過ぎた今、ようやく見直しに向け動きつつあるようだ。さて産湯と一緒に捨てた赤児は助かるのだろうか。



個人重視国家蔑視、人間尊重自然蔑視、物質優先精神軽視の半世紀が過ぎ、戦後民主主義の「成果」が見事に花開く。校内暴力、学級崩壊、不登校、いじめ、自殺、茶髪、援助交際なる少女売春である。

外交はどうか。占領されたままの北方領土、瀋陽駆け込み事件や拉致事件、工作船事件など主権がこの国にはあるのかと思いたくなる。

さすがに、このままで追い詰められたら、国民の我慢も限界となり、前述したような小泉首相の北朝鮮訪問となったのである。

日本は逆境に立って、平和ボケもようやく治り、ようやく国民の安全、平和、自然に対する考え方が変わり、国家の安全や自然の重要性が叫ばれる言語空間が生れてきたように思う。

「武装放棄」の日本人にとっての平和は米軍基地のお陰と知っているから、米原子力空母が寄航して、それに反対する市民グループが全国から佐世保に集まっても少しも治安は乱れなかった。しかし、自衛隊は軍隊ではないと強弁し、いつまでも嘘を言い続けるのか。国家を歌わない教師がいれば、子供が歌わないのは当然である。かつて国歌君が代を否定した人が首相に選ばれた後、君が代はいいもんだと言った話がある。その節操のなさに呆れるが、「森嶋道夫と石橋正嗣とが非武装論と旧ソ連に降伏せよと唱えている」(谷沢永一)ような時期もあった。昭和四十年代に宗像誠也なる東大教授が熊本に来て、中共のことを「バラ色の楽園」と褒め、羨ましいと嘆いてみせた。竹のカーテンがはずされ、田中角栄の日中友好条約が発せられ、熊本から教育使節団が中国に行った。私も二回目に参加した。当時の中国が、日本と比べてどこが羨ましいのか結局よく分からずに帰った。

靖国神社に八月十五日に参拝すると公約し約束を破ったり、近隣諸国に謝罪し続けたりする首相が続くのだろう。その度に日本人の自信と誇りは喪失し、それが未来の小国民にどう影響するか気掛かりである。



子供の憂うべき現状

この夏、宮崎シーガイアで開かれた全日本教職員連盟主催の研究大会に参加した。総合学習やこころの教育、学校経営の分科会などあり、学校経営の部会では校長の悲鳴が聞こえた。子供がおかしいというのです。

平成十四年九月七日、熊本公聴会が主催した講演と対談の会に参加した。

講師の佐々木賢氏は昭和八年生まれ、和光大学の公開講座講師で日教組の研究員もつとめているそうだ。この人はさすがに教育ジャーナリストとして、多くの本を出し豊かな資料を駆使しゆっくりとした語り口で、臨教審以前もそれ以降も公教育の絶望なることを述べた。どういう対策が望ましいか。実は打つ手はないという話で終わったが、公聴会は変な人物を招くものだと呆れた。しかし、技術革新による経済構造の変化で、若年労働者の三分の二が仕事を諦めているとか、一九九〇年代以降、校内暴力や不登校が急激に増加しているなど現状を知り得たことは良かった。

もう一人の三池輝久氏は熊本大学医学部教授であり、紹介によれば「小児発達障害、小児精神神経疾患が専門」で「不登校状態の子供の体について精力的に研究、治療を進め、発表を続けている」とあり、極めて具体的な研究データを駆使して、説得力ある発表を行なった。『学校を捨ててみよう』(講談社)の表題から分かるように不登校児童が学校に行くのに敢えて止めさせようとというのだからただ事ではない。

しかし、冷静に聞けば、睡眠が十分でない子供にとって学校や部活動は逆効果だという主張も一理ある。疲れる、だるい、朝起きられない、学校に行きたいがいけない。こんな症状の子供が急増しているという。それは睡眠不足からくるという。脳の前頭葉の発育を阻害させ、長く生きることは不可能だと。こんな症状の子供に学校に行けというのは、無理だと。「学校って何だろう」というテーマが聞いてみて納得できた。

確かに、生命力の低下は事実である。だから、文部省の「生きる力」の育成をしようというのだろう。学校は無用な存在なのか。部活動は不要なのか。根本に帰り問うことは無意味ではあるまい。

私は、高校で陸上をやったお陰で、今なお健康マラソンを楽しめる。今年一月に指宿菜の花マラソンのフルを完走(八回目)した。十二月のホノルルマラソンの楽しい予定がある。部活のお陰で生涯楽しめる。

大学では山岳部に入った。登山体験ではプラス面ばかりしか思い出せない。お陰で北アルプスや北海道の御花畑やら雷鳥を見られたし、昭和二十年代の手つかずの自然に出会えた。困難な北アルプスの雪山への挑戦は、幾度か遭難しそうになったが、命を惜しまない暴走族の気持ちも分かる。厳しさに比例して意欲が増すのが若者である。登頂の感激はすべての苦しさを吹っ飛ばした。学校教育でクラスにも生かせた。昭和三七年花園小卒業の元生徒は、五、六年生の頃夏は阿蘇でキャンプ、冬は草千里でスキーをした。それが忘れられず、平成十二年五月、ジュニアをそれぞれ連れての屋久島の親子キャンプと発展した。自然体験のとりもつ絆は大きいのだ。




伝統と自然が回復の鍵



今年(平成十四年)六月武蔵野陵を参拝した。

 昭和天皇は、二・二六事件と終戦という二つの国運を左右する歴史的決断をなされた。江藤淳の言葉がある。「戦後の日本が保守の叡知を結集して文字通り保守してきたのは皇室であった。憲法は変わったが皇統は続いている。昭和天皇は二つの憲法典を経られたにもかかわらず君臨されていた。今上天皇はそのまま皇位をご継承になり、そのまま繋がっています」(「橋本総理へ『保守』とは何か」、『諸君』一九九六年七月号)。この皇室の継承こそ、戦前から守り継がれてきた日本の唯一の宝であった。

 天皇を象徴とした叡知に学び、古い昔からの例えば神楽や祭りなど若者に地域の中で神祭りの習俗を伝えていく事などの取り組みが大事であろう。教育基本法の改正の基本に、象徴天皇のことも盛り込んでほしい。その他敗戦で失ったものの修復が求められる。

 戦後失われたものは歴史の他に、自然がある。「春の小川」の風景は見ることはもはや不可能である。小川にはドジョウもメダカもいない。ウサギ追いしかの山も荒れている。農林業など本来の自然を回復することに、配慮してほしい。政府はメダカの住む市町村に一億円ぐらいの御褒美をやったらどうか。

 自然をこよなく愛され、生物学者でもあった昭和天皇である。陛下に最後にお目にかかったのは、昭和六十年五月十二日阿蘇みんなの森で熊本植樹祭が開かれた時である。私が勤務する熊本市立託間原小学校が昭和五九年の環境緑化全国コンクールで最優秀校となり、陛下の御前で松田光文部大臣から文部大臣省の表彰を受けた。緑化表彰に多少貢献した緑の少年団を連れて臨席し、光栄に浴した。

 思えば、表彰の対象になったのは、学校で企画した「みどりの教育」カリキュラムである。今でいう総合学習の環境保護活動に当る。また校外では緑の少年団を引率して五木村端海野地区で植林の体験をした。その後下草刈りや野外活動で山の分校が忘れられず赴任を希望。ついに願いかなって赴任したのは、昭和天皇の御崩御の年であった。

 天皇崩御特集の週刊誌(新潮、毎日、朝日、読売)が、山小屋に残されていて先日久し振りに懐かしく読み返した。それからの十四年間五木の住民になり山暮らししたのも、青春時代の山男の後遺症だと自嘲している。しかし、人間には夢がある。自然塾を開きたかった。恵まれた大自然を利用して理想の教育をしてみたかった。



夢に向かって



 山村留学の小学生を引き受け、春夏秋冬寝食を共にした。後では中学生も入れた。自立支援にチャレンジしたのである。そのことは『生きる』(熊日出版)などに書いたが、簡単にいえば、自然こそ最大の教師であり、少年期から青年期にかけ自然とのふれあいなくして真の教育は成り立たないというのがわが理念である。

 山に登る行為は単純で若者に辛いが、これを克服できたら、喜びに変わるから不思議である。平成十四年七月、九州本土最高峰の国見岳山頂でご来光を仰いだ。あかねさすというのか、紫がかったくれない色から紅色へと変化していくと、待っていたかのように小鳥たちが合唱を始めるのである。この神々しい瞬間を子供たちに見せなければいけない。

 川で泳ぐといったことも五木ではごく当たり前の光景であった。問題を抱えてきた少女は、岩の上から何度も川に飛び込んだ。私の住む山小屋の周りはすべてが森に囲まれている。隣家の明かりが見えない。夜は真っ暗である。夜の暗さ、恐さも今の子は知らないのでは。そして、夜空の星の美しさを大地に寝っ転がって眺めたことはないのではないか。アカゲラやヤマガラや七月のカッコウ、ホトトギスなど鳥の声で目を覚ますなど、成長期の子供にとって自然の中で暮らす体験は不可欠である。

 しかし、それをかなえてやる環境が家庭にあるか。学校や地域にあるか。まことに厳しい。しかし、テレビやゲームに明け暮れていて恐るべきことが現実となった。睡眠不足から正常な脳の発育が阻害されているという。朝起きられない、不登校の急激な増加である。

 今年、久し振りに山小屋に帰り、ごく短期間に塾を開き、ある団体の親子をはじめ幾組かの合宿をした。クワガタに、冷たい川に、珍しいキノコに輝いた眼を見て、もう一度、若いスタッフの協力があれば夢に再挑戦したいと思った。少年少女の悩みを炉端で。じっくり聞きたい。成長の大事な時期を損耗している少年少女に、生きる感動と生きる力を与えることができれば、これほど嬉しいことはない。

 もしやるとしたら、登山、動植物観察をやりたい。村の猟師の猪猟の話を聞かせたい。きっと眼が光ることだろう。きまりを守れば、睡眠が確保でき脳の機能は回復し、荒れたこころも自然の中で癒すこともできるだろう。

 今の私には、もう一つ育てたいものがある。国を思うこころである。「国思う心にまさる親こころ今日のおとずれなんと聞くらん」と吉田松陰が歌った「国を思うこころ」である。歴史物語、小説、伝記などひかる教材を用意したい。有能な指導者を招き、聞かせたい。人間には認められたいという願望がある。人のために役立つ人間になりたいと思うこともあるだろう。しかし、それぞれの講座は強制しない。個人の意欲を重視し、参加自由のフリースクール。われと思わん若者よ、やってみないか。

(熊本県教職員連盟顧問・熊教連賛助会会長)


ホームに戻る